1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO’70・大阪万博)の会場に、芸術家の岡本太郎が制作した建造物と言えば?

答え:「太陽の塔」です。岡本太郎の代表作の1つであり、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、現在も万博記念公園にそびえ立っています。


皆さんは「太陽の塔」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?大阪万博記念公園にそびえ立つ、あの独特な姿を思い出す方も多いはずです。しかし、この塔には一般的に知られている以上に、驚くべき秘密と深い思想が込められているのです。

岡本太郎の反骨精神が生んだ「反建築」

太陽の塔は、単なる万博のシンボルではありません。実は、岡本太郎による壮大な「反逆」の産物なのです。当時の万博テーマ館は、建築家の丹下健三が設計した巨大な屋根「大屋根」で覆われる予定でした。しかし岡本太郎は、この均整の取れた近代建築に真っ向から反発。「建築を破壊する」という信念のもと、大屋根を突き破るように太陽の塔を設計したのです。

高さ70メートルの塔は、確信犯的に大屋根の調和を乱し、会場全体の統一感を破綻させました。これこそが岡本太郎の狙いでした。「芸術は心地よくあってはいけない。人々を揺さぶり、既成概念を打ち破るものでなければならない」という彼の哲学が、太陽の塔という形で具現化されたのです。

三つの顔が語る時間の物語

太陽の塔の最も印象的な特徴は、三つの異なる「顔」です。塔の正面上部にある「太陽の顔」は未来を、中央の「現在の太陽」は現在を、そして塔の背面下部にある「黒い太陽」は過去を表現しています。この三つの顔は、岡本太郎の時間哲学を象徴しています。

特に注目すべきは「黒い太陽」です。一般の来場者からは見えないこの顔は、古代の怨念や原始的なエネルギーを表現しており、岡本太郎が重視した「縄文的なもの」への回帰を示しています。彼は弥生文化の合理性よりも、縄文文化の非合理的で原始的な力強さに価値を見出していたのです。

内部に隠された「生命の樹」の神秘

多くの人が知らない太陽の塔の秘密は、その内部構造にあります。塔の中心部には「生命の樹」と呼ばれる巨大なオブジェが設置されており、これは生命の進化を表現した壮大な芸術作品でした。アメーバから人類まで、292体の生物模型が取り付けられ、来場者は塔の内部を上昇しながら生命の歴史を体験できる仕組みになっていました。

残念ながら万博終了後、この生命の樹は長い間封印されていましたが、2018年に48年ぶりに内部公開が再開されました。現在では予約制で見学が可能となっており、岡本太郎の壮大な生命観を間近で体感することができます。

「芸術は爆発だ」を体現した建造過程

太陽の塔の建設は、まさに岡本太郎の代名詞「芸術は爆発だ」を体現するプロジェクトでした。建設費は当時の金額で約5億円という巨額で、技術的にも多くの困難を伴いました。特に、巨大な塔を支える構造設計は前例がなく、建築家と構造エンジニアが一丸となって挑戦しました。

塔の表面に使用された材料も特殊で、FRP(繊維強化プラスチック)という当時最新の素材が採用されました。この選択により、太陽の塔は軽量でありながら強度を保ち、あの独特の曲線美を実現することができたのです。

現代に受け継がれる太陽の塔の影響

太陽の塔は万博終了から50年以上が経過した現在でも、大阪のシンボルとして愛され続けています。2018年には国の登録有形文化財に指定され、その芸術的価値が正式に認められました。また、2025年に開催予定の大阪・関西万博でも、太陽の塔は重要な役割を果たすことが期待されています。

現代のポップカルチャーにも大きな影響を与えており、アニメやゲーム、音楽などさまざまな分野で太陽の塔をモチーフにした作品が生まれています。それは、岡本太郎が目指した「芸術の大衆化」が、時代を超えて実現されている証拠かもしれません。

太陽の塔は、単なる万博の遺物ではありません。それは岡本太郎の反骨精神と創造力が結晶化した、日本の前衛芸術の金字塔なのです。大阪を訪れる機会があれば、ぜひ万博記念公園に足を運び、この偉大な「反建築」の迫力を間近で感じてみてください。きっと、皆さんの芸術観や価値観に新たな刺激を与えてくれることでしょう。


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